2014年04月02日

二本松城 穴太積み石垣を攻める vol.5 本丸・天守台

二本松城編の続きです。

待ちに待った本丸と天守台へ。ここまで長かった!

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本丸石垣が見えてきた。
思ったよりカクカクしてるぞ。


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本丸石垣の側面。再建とはいえ、それなりに高いのだ。迫力があるのです。


ワクワクしながら階段を登って攻め入る。
どんな天守が建っていたんだろうなぁ。

天守台は1995年に再建されたので、ワタシが子どものころにはありませんでした。
よくぞ再建してくれた!!!


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階段を上がる。ここは右に折れる枡形虎口


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右折していよいよ本丸を攻める!

両側には壁があって、狭間とか石落しとかあったのかしら。妄想がすすむわぁ〜。
写真の中央右寄りにあるのは東櫓台


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本丸跡の再現。右側にあるのが天守台です。

天守台は標高345m。周りは何もさえぎるものが無く、城内で一番高いところにあるので周りを見渡すことができてとっても見晴らしが良いのです。

右に東櫓台、奥に天守台、左に西櫓台。
天守は建てられなかったらしいけど、天守と櫓がつながっている連立式天守を想定して設計されたのでは?と考えられているそうな。


天守台の上り口付近に何かがある。


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丹羽和左衛門(66歳 城代) 安部井又之丞(65歳 勘定奉行) 自尽の碑

案内板によると、慶応4(1868)年7月29日の戊辰戦争による二本松城落城の際に自尽(割腹)した2人の供養碑だそうです。

丹羽の自尽の様子は、床几(しょうぎ 腰掛け)に腰をおろし、軍扇を膝の上に広げ、
割腹したのち内臓を軍扇の上につかみ出し、前屈みになって絶命した、と伝えられています。


めちゃめちゃ壮絶ではないか!
しかもこのお二人。けっこうな年齢。
江戸時代で60歳を越えているって、今でいう80歳くらいの感覚なんじゃないの?
この時には城主の丹羽長国は米沢に脱出していたようです。
城主を逃がしつつ、老人も駆り出されるほど人手不足だったというエピソードにリアリティが出てくる。


行くとよくわかるけど、この天守台がある場所が城内で一番高いところにあるわけで。
あちこちで戦火があがるのを見ているってどんな気分だったんだろうな・・・。


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天守台を攻めてみた。左側に見えるのは東櫓台

「天守台だけ」が残っている城だと、江戸城が身近にあるワタシとしては、天守台ってとてつもなく広いもんだと思っていたけど、二本松城は天守台とその下の本丸部分も含めて江戸城の天守台の広さって感じかな。

  二本松城の本丸+天守台=江戸城の天守台

二本松城の天守台くらいの大きさが普通の城の大きさだったんだろうな。


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そして天守台から見た風景。

見晴らしがよいのよ。ほんとは。曇っていて残念。
正面に見えるのは安達太良山
智恵子抄の高村智恵子が「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空がほんとの空」といった安達太良山です。
地元では乳首山(ちちくびやま)と呼ばれています。
それっぽいでしょ?
郡山から二本松に向かう東北本線の中からも見えるので、電車で来るときにはぜひ探してくださいな。


そして西櫓台
西櫓台には上れたような気もするけど、もう、力尽きた・・・。


FKS01_41.JPG
退却することにしました。

さようなら。本丸・・・。
すごく疲れているけど、それでもやっぱり枡形虎口が素敵。
あぁ。櫓と入口の門が建っている様子が想像出来ちゃう。


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本丸に続く階段を下りる。
二本松城下が見える。山をひとつ越えてきたわけで。
けっこう歩いてきたもんだなぁ。


本丸の石垣は、ぜひ、まわりをぐるっと周って見てみてください。
発掘で石の積み方がわかった場所は、その時代の通りに積み直されています。
江戸後半様式、寛永様式、元和様式、慶長様式、そして消失していた部分は江戸後半様式で積まれているそうです。
慶長様式というのは穴太積みだそうな!

特に虎口に向かって左側には慶長初期の会津領主の蒲生氏郷が二本松城の築城時に初めて築いた頃の旧石垣と、のちの会津領主の加藤氏が修築&拡張した寛永初期の石垣が混在しているそうです。
現在は史跡保存のため、旧石垣については埋め戻されたそうだけど、拡張に拡張を重ねた様子が本丸石垣を一周するとわかるかも!?


でもワタシは力尽きた・・・。
今度来るときは二本松駅から歩くのではなく、車で来れるギリギリのところまでは車で行くぞ!


そして最後のお楽しみ。本丸石垣の真下へ。


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本丸直下大石垣。

二本松城に築かれた最も古い石垣のうちのひとつ。
野面石(加工していない天然石のこと)と荒割石が使われています。
案内パンフによると。

穴太積みで積まれていて、大小の石材をレンガのように横積みし、数石しか"横眼地(よこめじ)"を通させない「布積み崩し」
二本松城が会津の支城になった慶長初期頃、蒲生氏郷に召し抱えられた城郭石積み技能者集団「穴太衆」によって築かれた石垣


なんだかよくわからないけど、穴太衆が手掛けたというだけですごいと感じる。
「穴太衆」って一種の「ブランド」ですわ。

石垣は「さらに数段あった」と想定されていて、もっと高さがあったようです。


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本丸石垣の真下から。この写真が一番わかりやすいかな。


残念ながら草まみれなのでうまく伝わりにくいんだけど、それがまた「埋もれていた城」っぽさを煽るねぇ。


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本丸直下大石垣で残っているのは幅が約15m、高さ約13m。
写真の左側のぼこっとしたところは違う時代かも。


箕輪門のあったところと比較すると、建てられた時代がまったく違うというのがよくわかる。
天守があるわけでもなし、「何もない」といえば何もないんだけど、よくよく見てみると、中世の山城&近世の平山城が味わえる、一粒で二度おいしい城なのです。


グルメ編に続く。


おすすめガイド本

まっぷる福島 会津・いわき'14
るるぶではなく、まっぷるを買ったのは、二本松城が載っていたから
二本松城においでませ。



二本松藩 (シリーズ藩物語)
二本松藩についてもっと知りたくなりました





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posted by ゆーか at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 福島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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