2015年08月30日

2015年6月 春日山城、その他に行けるだけの城に行ってきました vol.2

ずいぶん時間がたってしまいましたが、6月に行った「春日山城、その他に行けるだけの城に行ってきました」の旅のダイジェスト編、続編です。

春日山城を散策したのち、「御館の乱」の舞台となった御館の跡を訪れました。

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現在は公園となっている「御館」の跡。




上杉謙信が世を去った後の後継者争いの場となった館跡。
現在、公園となっている場所は主郭のほんの一部だったそうです。
案内板によると、二の郭から四の郭まであったということだから、さすが関東管領上杉憲政のお屋敷。
上杉謙信の養子だった上杉景勝との争いで敗れた上杉影虎が逃げ込んだというけど、うん。車で5分〜10分くらい。春日山城からちょっと足を伸ばせば簡単に逃げ込める距離。
この距離感は、実際に行ったからこそわかること!

そしてお次は福島城

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上杉謙信の後を継いだ上杉景勝が会津に移封された後に入封した堀秀治によって築かれた城。
山城だった春日山城より勝手が良い場所ということでこの地に築かれましたが、現在は小学校が建っています。
昭和の時代まで、小学校を囲むように堀が残っていたそうです。
福島城の碑のそばにある資料室で写真を見て、「このまま残っていたらなぁ。」などと思ったり。

海のすぐ間近だったり、川に挟まれた立地だったことから水害が多発。
結局は7年で廃城となり、高田城が築かれたとさ。

そしてお次はその高田城

150620_16.JPG
良い季節に行きました。紫陽花が美しい!
絵画調で撮影してみた。

堀氏のあとに福島城に入った松平忠輝が高田城を築城してお引っ越し〜。
天守はなく、三重櫓を天守の代用としたそうな。
写真はその三重櫓。絵図や発掘調査をもとに復元したそうですが、詳しい意匠などは資料がなく、わかっていないもようです。

とはいえ、やっぱりこういった建築物があると、絵になりますわ。
現代の三重櫓は資料室になっていました。

150620_15.JPG
ツツジの赤と紫陽花の青がひきたてる三重櫓。
6月は雨の多い季節だけど、こんなコラボがあるなら梅雨の季節でもよいね

三重櫓の脇を通って二の丸へ。
土塁の合間を通って、ここは門があったのか?・・・と思ったら、この本丸から二の丸へ抜ける道は、当時はなかったようです。
危ない。だまされるところだった

高田城で強烈に印象に残ったこと。
城内の案内図を見ていたら、奇妙な形の曲輪が。


・・・瓢箪曲輪???


丸っこいひょうたんの下半分のような曲輪が突出しているのだ。

「野球場がすっぽり入っているよ」と教えてもらい、車でお堀を1周、ぐるっと周ってみると、本当にお堀の向こう側には丸っこい敷地が広がっていて、まるっと野球場が入ってました
本丸には中学校が入っているし、高田城。すごい有効利用のしかただなぁ

さらに強烈な印象に残ったのは、お堀中が蓮だらけ。
うぉ。レンコンだらけだ!!!
ひょうたん曲輪にレンコン堀(勝手に名付けた)。
現代の高田城は地域にめちゃくちゃ密着しているお城なのでした。

「春日山城、その他に行けるだけ行ってきました」の旅。ダイジェスト編。続く。


春日山城に行くなら・・・ホテルラングウッド上越
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高田城にも近いのです♪

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posted by ゆーか at 19:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 新潟県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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